2. 覚悟しなさい。 会堂から除名され、いのちまでつけねらわれる身になるのですから。 事実、あなたがたを殺すことで、神への奉仕を果たすのだと、人々がとんでもない思い違いをする時が来ます。
3. 父をも、わたしをも知らない人々のやりそうなことです。
4. いいですか。 この警告をしっかり心にとめておきなさい。 迫害が現実に起きた時、あわてふためかないですむようにしなさい。 今までこんなことを言わなかったのは、しばらくでも、いっしょにいてあげられたからです。
5. しかし今は、わたしをお遣わしになった方のもとに行かなければなりません。 それでもあなたがたは、わたしが何のためにそこへ行くのか、知りたくないようです。 だれ一人、どこに行くのか尋ねもしないではありませんか。
6. ただもう、わたしの話を聞いて、悲しみで胸が張り裂けんばかりなのでしょう。
7. だがほんとうは、わたしが行くのは、あなたがたにとって一番よいことなのです。 わたしが行かなければ、助け主はおいでになりません。 行けば、必ずおいでになります。 それというのも、わたしが、その方を遣わすからです。
8. その方が来られると、世間の人に誤りを認めさせます。 罪、心の正しさ、神との正しい関係、さばきからの救いということで、人々はまるで考え違いをしているのです。
9. まず罪とは、わたしを信じないことです。
17-18. この話を聞いて、弟子たちの何人かが、ひそひそささやき始めました。 「いったい何のことだろう。 『じきに、わたしを見なくなり、またすぐに、わたしを見る』とか、『父のもとに行く』とかおっしゃったけど、さっぱりわからないな。」
19. 弟子たちが質問したくて、うずうずしていると、イエスはそれに答えるように、また話し始められました。 「何をひそひそ言い合っているのですか。 そんなにわたしの言うことがわからないのですか?
20. いいですか。 わたしの身に起こることで、この世は、それ見たことかと大喜びし、あなたがたは悲しみます。 だが、やがてわたしに再会するのです。 その時、悲しみは大きな喜びに変わるでしょう。
21. 苦しんで子供を産む母親の喜びと全く同じです。 今の今までの激しい苦しみは、うれしさのあまり足が地につかないほどの大きな喜びに変わり、痛みも何もかも、まるでうそのように忘れてしまうのです。
22. 今は悲しみでいっぱいでしょう。 だがわたしは、もう一度あなたがたに会います。 その時あなたがたは、だれにも奪われない喜びにあふれるのです。
23. その時には、何一つわたしに求める必要はありません。 直接父に求めることができるからです。 父は、わたしの名前で求めるものは何でも、与えてくださいます。
24. 今までこのような求め方をしたことはありませんね。 わたしの名前で求めなさい。 そうすれば与えられ、あなたがたは喜びに満ちあふれるのです。
25. わたしはたとえを使って話しましたが、そんな必要はなくなる時が来ます。 その時には、父のことを何もかもはっきりと話しましょう。
26. その時、あなたがたはわたしの名前で願い事をするのです。 わたしが代わって、どうぞ願いを聞き届けてやってくださいと父に頼む必要はなくなります。
27. わたしを愛し、わたしが父から来たことを信じるあなたがたを、父も心から愛してくださるからです。
28. そう、わたしは父のもとからこの世に来ました。 そして、また世を去り、父のもとに帰るのです。」
29. 「それならわかります、先生! 少しもなぞめいたところはありません。