6. 「バビロン王ネブカデネザルが連行した捕囚のうち、エルサレムに帰って来た者の名は次のとおりです。
7. 指導者ゼルバベル、ヨシュア、ネヘミヤ、アザルヤ、ラアムヤナハマニ、モルデカイ、ビルシャン、ミスペレテ、ビグワイネフム、バアナ
57-59. ソロモンの家臣の子孫ソタイ族、ソフェレテ族、ペリダ族、ヤアラ族ダルコン族、ギデル族、シェファテヤ族、ハティル族ポケレテ・ハツェバイム族、アモン族
60. 神殿奉仕者とソロモンの家臣の子孫の合計は、三百九十二名です。」
61. ペルシヤの諸都市、テル・メラフ、テル・ハルシャ、ケルブ、アドン、イメルなどから引き揚げて来た人々もいましたが、系図をなくしていて、ユダヤ人であることを証明できませんでした。
62. デラヤ族、トビヤ族、ネコダ族の六百四十二名の人々です。
63-65. 祭司の中にも、系図を紛失した人々がいました。 ホバヤ族、コツ族、バルジライ族などという人々です。 このうちバルジライは、ギルアデ人バルジライの娘婿となり、その姓を名乗っていました。この人々は、正真正銘の祭司かどうか、ウリムとトンミム(神意をうかがう一種のくじ)によって神様の判断を仰ぐまでは、祭司の務めにつくこともできず、祭司の食糧として保証されている、供え物の分配にもあずかれないことになったのです。
66. この時期にユダに帰った一般市民の総数は、四万二千三百六十名にのぼりました。
67. ほかに、奴隷が七千三百三十七名、男女の聖歌隊員が二百四十五名です。
68. 馬七百三十六頭、らば二百四十五頭、らくだ四百三十五頭、ろば六千七百二十頭もいっしょでした。
69-70. 諸族の指導者の中にも、工事のためにささげ物をする人がいました。 知事は、百五十万円相当の金、金の器五十点、祭司の服五百三十着を、ほかの指導者たちは、三千万円相当の金、二千三百万円相当の銀を、
71. 一般市民は、三千万円相当の金、二千百万円相当の銀、祭司の服六十七着を、それぞれささげました。
72. こうして、祭司、レビ人、門衛、聖歌隊員、神殿奉仕者、その他の人々は、おのおのユダの故郷の町や村へと帰って行ったのです。ただし、九月には、みなエルサレムに集まりました。