6. 神様は私たちの生活の中で、いろいろな方法で働きかけてくださいます。 しかし、神様のものとされた私たちの中で、また私たちを通してお働きになるのは、ただ一人の神様です。
7. 聖霊様は、教会全体の利益のために、私たちを通して神様の力を現わしてくださるのです。
8. 御霊様はある人に、賢明な助言者としての才能を与えておられます。 またある人には、研究し、人に教える点ですぐれた才能を与えておられます。
9. また、ある人には特別な信仰を与え、ある人には病気を治す力を与えておられます。
10. そのほか、奇蹟を行なう力が与えられている人もあれば、預言や説教をする力をいただいている人もいます。 また御霊様は、ある人には、「自分は神のことばを与えられている」と主張する人が、ほんとうに神の御霊によって語っているかどうかを見分ける力を、与えておられます。 そしてさらに、ある人には、異言〔今まで知らなかったことば〕で語る能力を与え、同時に、別の人にその異言を解き明かす能力を、授けておられるのです。
11. こうしたすべての賜物と力は、同一の聖霊様が思いのままに、私たちに与えてくださるのです。
12. 人体には多くの部分がありますが、その各部分が結び合わされて、一つの体が成り立っています。 キリスト様の「体」についても、同じことが言えます。
13. 私たちはそれぞれ、キリスト様の体の一部です。 ある者はユダヤ人、ある者は外国人、ある者は奴隷、ある者は自由人です。 しかし、聖霊様は、私たちをみな結び合わせて、一体としてくださいました。 私たちは、ただ一人の御霊様によって、キリスト様の体に結び合わされるバプテスマ(洗礼)を受け、みな、同じ神の霊を与えられているのです。
14. 確かに、体はただ一つの部分からではなく、多くの部分から成り立っています。
15. たとい足が「私は手ではないから、体の一部ではない」と言いはったところで、体の一部でなくなるわけではありません。
16. また、もし耳が「私は耳で、目ではないから、体の一部ではない」などと言ったら、どうでしょう。 そんなことで、耳が体から離れることができますか。
17. 考えてもごらんなさい。 もし体全体が目であれば、聞くことができるでしょうか。 もし体全体が巨大な一つの耳なら、においをかげるでしょうか。
18. しかし、神様は私たちの体を、そのように造られたのではありません。 体のために多くの部分を造り、各部分を思い通りに配置されました。
19. もし体が単一の器官でできていたら、それこそ、ばけものです。
20. ですから、神様は多くの器官を造られました。 しかし、やはり体は、ただ一つなのです。
21. 目が手に、「私には、あなたなんか必要じゃない」などとは、決して言えません。 また、頭が足に、「あなたなんかいらない」とも言えません。
22. それどころか、一番弱く、一番不要だと思われている部分が、実は、最も必要なのです。
23. そうです。 私たちは、むしろ余分と思える部分が与えられていることを、特に喜ぶのです。 そして、人目にさらすべきでない部分は、人目から注意深く守ります。
24. 一方、見られてもよい部分は、もちろん、特別な注意を要しません。 そのように、神様は、あまり重要視されない部分が特別に重んじられ、注意深く扱われるように、体を組み立ててくださったのです。